松葉舎の発表会レポート(2020年12月12日)

2020年12月12日、松葉舎の塾生による半年に一度の発表会が行われた。この半年間巡らせてきた思い、あるいは入塾以降考え続けてきた事柄について、それぞれの塾生が、すこし緊張した面持ちで、ゆっくりと口にする。その様子を、発表者順に一人ひとり紹介していきたい。

執筆・橋口亮介

まずは塚田愼一くんの発表から。
塚田くんはマインドマップを広げつつ、最近の生活の変化をきっかけに感じたこと、考えたことを語り始めた。


身近なひとがうつになり、どう寄り添うかを模索する中で、これまで当たり前として受け入れてきた社会の歪さと向き合うようになる。そこで浮上してきたのが生きかたの問題だったという。

 

自粛期間中は周囲の環境の変化によって、当たり前の影に隠れていたものが前景へと浮き上がってきた。街の静けさによって普段の喧騒があらわになり、リモートワークでひとつの場所にいる時間が増えると、身の周りにあるモノたちが存在を主張しはじめる。座り方にも意識が向き、昔の人の身体がどうであったのかを調べれば、翻って現代人の身体のあり方が、つい最近に至るまで当たり前ではなかったと知る。散歩をルーティーンにすれば、歩きかたにも意識が向く。下駄や雪駄を履いて歩き始めると、早歩きが難しかったり、靴を履いている時には意識しなかった重心の置き方が求められたりする。日々パステル画を描くことを続けていると、それまで森を見ればそれは森だと頭で認識するだけだったのに、いまは一本一本具体的に木の存在を感じるようになった。

 

こうして当たり前が、身近なところから解けてゆく。

塚田くんはホロコーストや差別問題についての卒論を提出して大学を卒業したばかりだが、コロナ禍によって、これまで頭で理解してきた問題が身近なところでも問われるようになった。いや、これまで見えなかっただけで、ずっと問題はそこにあり続けていた。あらゆる出来事が自分に、自分ごととして考えることを要請する。そのとき、意見や思想のようには流通しえない、生きかたの問題としか呼べないような何かと出会うのだろう。
塚田くんの関心は広く、ここで取り上げたのはほんの一部に過ぎないが、これから塚田くんが世界から何を受け取り、どうアクションするのか、可能性に富んだ発表となった。

柄澤ゆうたくんは、大学での卒業研究のテーマである「海洋生物におけるキチン分解酵素のcDNAクローニング」について語った。


エビフライの尻尾を食べている際に、誰かから「エビの尻尾ってゴキブリの羽と同じ素材らしいよ」と言われた経験があなたにもあるかもしれないし、私も言ったことがあるかもしれない。その素材こそキチンだ。


主にエビやカニといった甲殻類の殻やキノコに含まれる物質で、地球上でセルロースに次いで生成量の多い生物資源であるキチンは、供給が安定してるだけでなく、構造が安定しており、柔軟性も高く、生体との親和性も高い為、人工皮膚や透析膜やコンタクトレンズなど、主に医療用の製品などに利用される。

現在はカニの甲羅などを塩酸や硫酸といった強酸で分解することでキチン質を使った製品が作られる。しかしそれでは廃液が出ててしまい、環境に大きな負担をかけてしまう。それに、酸で分解するやり方はあまり効率がよくない。そこで現行のものとは異なるキチン質の分解の方法が探られている。


そこで目をつけられたのが、キチン質を持つ生きものが脱皮する際に分泌するキチン分解酵素である(正確にはそれは正式名称ではないが)。
 
ゆうたくんの研究は、キチン分解酵素を持つ生物を探し、酵素を作る遺伝子を大腸菌に増殖させ、工業的にキチン分解酵素を生成させる手法を目指したものだ。現在工業的には、主にカニの甲羅が利用されているが、ゆうたくんはクルマエビやカメノテを素材に実験を行ない試行錯誤している。
 
筆者の中では断片的に散らばっていた生物学の知識が、彼のもとではつながりを持った具体的な手仕事として現れている。自分にとって知識に過ぎなかったものが、そうは捉えられなくなるような、生化学研究の魅力が伝わるとても誠実なプレゼンだった。

佐藤世津子さんの発表は日本における余白をめぐるものだった。

もともと茶道や能など日本の伝統文化に関心を寄せていたが、余白の美学には日本文化論の切り口だけでは語りきれない何かがあるのではないかと緒を探っていた。そんななか、トール・ノーレットランダーシュの「外情報」や、ジュリオ・トノーニの「統合情報理論」に触れ、情報という観点から余白にアプローチできるのではと考えはじめたという。

 

外情報とは、最終的に伝えるべき情報を生みだす過程で切り捨てていった情報、それ自体伝えられることはないが、それでいて相手に届けられた情報の意味を見えない外側から支えている情報のことをいう。

 

佐藤さんは、西洋の外情報は情報を支えるための存在であるが、日本においてはむしろ–––例えば長谷川等伯の松林図に見られるように–––見えない外情報の存在をほのめかすために情報を用いる、そのような感性があるのではと述べる。つまり、西洋絵画では地(背景)は図(かたち)を描くために利用されるに過ぎなかったが、日本では逆に図を描くことによって地が顕れてくるような表現が試みられてきたと言うのだ。これは確かに、江戸時代の画家である池大雅が、絵を描く上で一番難しい事は何かと聞かれた際、「全く何も描かれていない白い空間描く事である」と答えたこととも符合する。

 

発表を受けて江本さんから「松林図において現れているのは余白というより奥行きではないか」と意見が出た。日本における情報の奥行きと西洋における情報の深さ。こんな言葉遣いのうちにも、日本と西洋、それぞれが情報と外情報を捉える枠組みのちがいが現れているように思う。そうした観点から、外情報とは何かということが新たに問い直されていく。

 

重要なのは、ここでなされている対話が、研究対象にただ既成の概念を当てはめて良しとする姿勢とは異なることだ。むしろ、説明対象だったはずのものが、その概念からはみ出していく。そこで生じる逡巡によってその概念も鍛えられ、ひいては対象からより多くの意味を引き出すことが可能になる。その相互作用の反復こそが大事なのだが、一人で本を読むだけではなかなか難しい。

 

佐藤さんは、ただ納得をもたらすだけの説明とは異なる、新たな日本文化の語り口があるのではないかと、情報科学の入口に立った。

通常アカデミズムでは、入口にいる段階で何かを語ることには大きな躊躇いが付きまとう。だが、松葉舎では権威に臆せず、自分が考えようとしていることを発表できる。かといって、自分勝手な解釈でものを語るわけにはいかない。そこに集う人々の関心が多様な分、専門の垣根を超えて、お互いに納得のいくような説明を心がける必要がある。そうした対話を通じて、自分では理解していたつもりだったことが、実はそうではなかったと浮き彫りになる。

 

学校教育においては、効率よく、すぐに理解できることがスマートとされる。先生が喜ぶような正解さえ出せればそれでいい。しかし、そこで見落とされるような鈍臭い学びを求めている人は少なくないはずだ。

高橋知子さんの発表は「部分と全体」をテーマにしたもの。
高橋さんは野口三千三による野口体操との出会いをきっかけに身体に関心を持つようになったという。

 

野口体操は、全身に淀みなく動きの流れが伝わって行くよう、動作に身体を預ける。動作から生じる重みを頼りに、順々に身体を動かしてゆく。硬くなっている部分があれば、流れは、滞る。しかし全身を動かしてゆくなかで次第につま先から頭まで動きの流れが伝わってゆくようになる。

 

私たちは「自らの意思に従って行動する主体」であることに慣れすぎて、つい忘れてしまいがちだが、自分では身体の一部分だけを動かしているつもりでも、実際には身体全体が協働することでその動作が生み出されている。靴下を履く動作一つ取ってみても、言葉を尽くしてなお書き尽くせないほどの連携が身体の内部では生じている。思った通りに身体を動かしているようでいながら、その意図をはみ出すように身体のあらゆる部分から動きが生まれ、その連鎖の果てに私たちに認識可能な動作が実現されるのだ。

 

高橋さんは身体の動きだけでなく、感覚においてもそれは同じでないかと問う。例えば、生のライブとその音源での体験の強度の違いはどこにあるのか。可聴域を超えた音が–––耳ではなく–––皮膚によって捉えられているとの研究結果があるが、私たちの周囲には、聴覚には捉えられない音が溢れている。音源として流通する際にはそうした音は切り捨てられてしまうが、そこにもライブ体験を作り上げる重要な部分がある。

 

認識できない存在からも、私たちは多大な影響を受けている。だからこそ高橋さんは、部分と全体について考えることで、意識によって取るに足らないとされる部分にも耳を澄ます。

 

私たちの意識は結び目のようなものであって、流れの滞りだけが自覚されているにすぎないのかもしれない。それのみを集めて構築された世界観は、自分が生きている世界とあまりに違う。高橋さんは野口体操に取り組むように、その結び目を解いてゆくことで、この世界に流れる動きを感じる術を模索する。

 

ここでの「全体」という言葉は、何かを指し示す言葉ではない。自覚される部分だけに自らを閉じず、あらゆる存在に身体を開いて生きてゆく。そんな姿勢を作り出す装置として機能している。

 

高橋さんは現在、「部分と全体」という言葉を「かたさとやわらかさ」におきかえて、これまでの取り組みを振り返ろうとしている。身体の使い方がかたければ、その動きは部分に分断されてしまう。やわらかくつかえば、全体が活きる。これらの言葉は形なきものにも使えるのがおもしろい。頭がかたい/やわらかいとは一体どういうことか。かたい/やわらかい言葉とはなんだろう。そんなことを考えているうちに「かたい/やわらかい」という言葉そのものが、研究の遊びに満ちたものに見えてくる。ひとつの切っ掛けとして、今年は中央統御的に構築された意識を生きる人間とは異なる存在である、タコの身体と意識について考えていく予定だという。

 

ダンサー/振付家として国際的に活躍する岩渕貞太さんは、課題図書を通して自分とことばの関係がどう変化してきたかを振り返る。岩渕さんは踊りを続けてきた中で、ことばとの付き合いかたを掴みあぐねていた。

 

入塾して始めての課題図書、安田登『身体感覚で『論語』を読み直す』を読んで、言葉や文字がこれまでと全く異なるものとして感じられるようになったという。この本では、現代人には抽象的にしか感じられない「心」や「精神」といった言葉の起源にまで遡る。岩渕さんは、今とは大きく異なる古代中国の世界観に触れ、そこに生きた人々の身体をまざまざと感じ、それが自分が踊るときに感じていた心性と重なっていくのを感じた。これまで自分は言葉を通した表現とは異なる世界にいると感じていたが、そこに言葉が発生する際のダイナミズムが重なる。それをきっかけに身体感覚で言葉を捉える緒を掴んだ。

 

そして民藝運動について書かれた本や、民藝運動を牽引した柳宗悦や河井寛次郎たちの著作を通して、生命、生命観への意識の転換が起きたと語る。科学の言葉で生命を捉えるだけではなく、自分の腑に落ちる言葉で生命を考えることもできるのだと、背中を強く押されたという。

 

生命を感じる時、そこには歓びがある。

 

以前から「よろこぶ身体」という言葉を使う際、そこに楽しいだったり嬉しいだったりとか、そうした言葉では語りきれない何かを感じていた。だからこそ河井寛次郎の「苦しんでいようと 悲しんでいようと 怒っていようと 人はどんなに思っていようと 生命は喜んでいるよりほかには生きてはいない 悲しんでいてもしんそこは喜んでいるものがいる 怒っていてもしんそこは喜んでいるものがいる」という言葉に触れたとき、まるで自分の実感が言語化されているかのようで驚き、自身の創作のおおきな励みとなった。

 

さらに、醜との対立において美がもてはやされていた時代に、その醜をも包み込む、美醜を分けない不二の美しさを目指すものとして、民藝運動は起こった。岩渕さんのバックボーンである舞踏にも通底するものがあったが、民藝の言葉に触れることで初めて自分のやってきたことを自覚できたという。

 

竹内整一『やまと言葉で哲学する』では、言葉のルーツを知ることから日本人の身体観が見えてきて、日頃言葉を使う中で感じていたしこり–––抽象的な言葉を使い、それが自分の身体から解離していくときに感じるつまづき–––を見つめ直す機会を得た。

 

さらには身体性認知科学やシンギュラリティといった西洋の最先端の言説に触れることで、個人の関心のままに本を読み進めていたら仮想敵として排除していたであろう考えに触れることができ、そこからも多くのインスピレーションを受けたという。

 

岩渕さんはこれまで、身体を通じた読みを意識してきたが、これからは、身体の感覚にのせてものを書き始めたいと語る。もちろん書くことは読むことでもある。岩渕さんはこれまで以上に、頭でなんとなしに捉えた言葉につまづきを感じるようになった。しこりを感じさせるような言葉で語ることを身体が許さない。

 

柳宗悦たちが自らの実践を語る際にその文体から作り上げたように、岩渕さんは自らの実感を語る新たな語り口を探り始めた。河井寛次郎の言葉から生きる歓びを受け取ったように、岩渕さんの言葉でいずれ誰かが生きる歓びに出会い、励まされるのだろう。そんな予感に満ちた発表だった。

 

最後は私、橋口亮介による発表。

紹介が遅れてしまったが、現在 coconogacco というファッションスクールに通っており、今回は自分の創作を振り返っての発表を行った。

 

ファッションスクールに在籍してはいるが、パターンをひいたり縫ったりできるわけではなく、ファッションセンスがあるというわけでもない。絵もヘタで中学の時に学年最下位をとって、それ以来絵を描くこともなかったような人間だ。

 

あれが無いこれが無いと自分に欠けているものばかり並べてしまったが、それは今の自分にとってネガティヴなものでは無い。自分の意識で作られる秩序よりも、事物が出会うなかで顕れてくる秩序への信頼があるからだ。

 

少し前まで、私は明確な主体を設定したうえで行動をするようなモードで生きてきた。橋口亮介が書く、橋口亮介が食べると言ったような行動のモードで。つまり、「私」が何々するという意識のもとで物事に取り掛かる生き方だ。しかし、何をやってもうまくいかない。だからこそ、その「私」を少しでも強くしようと足掻いてきた。強い有能な「私」になればいつか何々ができるはずだと。そのいつかを夢見続けることで、私は一歩も踏み出すことのできない人間になっていたのだ。

 

しかし今は手を動かして創作するようになっている。「私」が何かを作るというのではなく、作られたものから「わたし」が立ち上がってくる。作ることで、強い主体から癒やされている。この外部への信頼は、松葉舎で出会ったものに触発されじっくりと変容してきた感覚なしにはあり得なかったものだ。

 

わたし自身の制作や関心をめぐっては2月にレクチャーを開くので、興味のある方はそちらに参加していただきたい。また作品についてもこちらのページで今後公開する予定なので、ご覧いただけると嬉しい。

 

 

レポートと言いながら、それぞれの発表者の内容を大幅に書きかえてしまった。おそらくは、わたしの誤解や妄想をないまぜにしながら。それぞれの発表を文章にしていくなかで、自分の考えていたことに出会ったと言ってよいのかもしれない。自分で考えていたつもりのことが、他者によって語られている奇妙な感覚をそのまま文章にした。それぞれに通底するものはあるが、皆が同じような思考に染まっていたりするわけではない。ただ思考を自分のうちに閉じることに危機感を持っている人がこの場に集う。そのような場の雰囲気が少しでも伝わればと思う。

橋口亮介