先日、松葉舎をルーマニア日本合同学生会議(後援:日本・ルーマニア両大使館)に招待していただきました。その冒頭で行いました松葉舎紹介講演の文字起こしです。松葉舎設立の意図、その命名の由来を初めて公に話した講演となります。
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ただいまご紹介にあずかりました、松葉舎(しょうようしゃ)を主宰しております、江本伸悟と申します。本日は短い間ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。
始めに、この度このような場を設けていただきました角悠介さん、並びにこの会を御後援いただいております日本・ルーマニア両大使館の皆さまには、心より御礼申し上げたいと思います。この小さな私塾をお招きいただくにあたって様々なご苦労があったのではないかと想像しております。皆様のお力添え、誠にありがたく思っている次第です。
付きましては、松葉舎とは一体なんであるのか、ここにいらっしゃる皆さまもおそらくは謎に包まれたまま本日に至っていると思いますので、今日は僕の方から松葉舎についてご説明差し上げたいと思います。およそ10分、通訳合わせてその倍程度のお話しになるかと思いますが、どうぞお付き合いいただければと思います。
まず、日本で「塾」と聞くと、つい受験勉強のための学習塾を思い浮かべがちですが、松葉舎は学習塾というよりは、どちらかというと大学院に近い、つまり、勉強ではなく研究のための場となっております。
では松葉舎では一体どのような研究をしているのか。これは塾生によってそれぞれですが、例えば先週の土曜日に先駆けて発表してくださった、ダンサーであり振付家でもある岩渕貞太さんは、踊りを通じて人のからだの奥深さを、あるいは、人のからだを突き動かす生命力の根源を探り当てようと、日々探求に励んでいます。
また、今日、松葉舎から発表予定の塚田愼一くんは、以前ホロコースト研究のためにリトアニアに留学していたのですが、そこには差別問題に対する深い関心がありまして、新型コロナウイルスの流行している今は、感染症という切り口から「人のこころに潜む差別感情にどう向き合えばよいのか」を考え続けています。
あるいは「自分が何を研究するべきか」ということ自体を、松葉舎での対話を通じてじっくり考えている方もいます。これは、例えば夏休みの自由研究を思い出していただければ分かりやすいと思うのですが、研究テーマを定めること自体が実は研究において一番難しいことだったりするわけですね。しかし、もし自分の人生をかけるに値する問いを打ち立てられたならば、それは必ずその人の人生に張りと彩りとを与えてくれるはずでして、だからそれは、存分の時間を費やすに値する取り組みだと思っています。
例えば、今日発表の予定はないのですが、高橋知子さんはこれまでそうした形で研究テーマを探ってきていまして、最近「やわらかさ」というキーワードに辿り着いたところです。素朴な言葉なんですけど、この言葉は物や体のやわらかさを表すのに使えるだけではなく、例えば頭のやわらかさを表すのに、あるいは言葉のやわらかさを表すのにも使える、ちょっと不思議な言葉なわけですね。そうしたところから、じゃあ「やわらかい」とはどういうことなんでしょうね、ということを考えるために、試しにタコの本でも読んでみましょうか、とかいって最近は盛り上がっているところです。
僕自身は何を考えているかというと、例えば、ひとの心と体はどのように結びついているのか、人間と自然の関係はどうあるべきか、物質と生命の境目はどこにあるのか、あるいはないのかといったことに興味をもって、それを科学や哲学、芸術や民藝、あるいはダンスやファッションといった、様々の分野の方法論に依拠しつつ探求していっています。
雑多なことに手を出しているようなんですけど、これらの取り組みの根本には「日本の風土や文化に根ざした新しい科学の在り方」を創出したいという思いが横たわっています。といいますのも、例えば、これは今日詳しくお話することはできないのですが、今僕らの慣れ親しんでいる近代科学には、キリスト教を背景として成立してきた過去があるわけですね。科学と宗教とは今では対立する営みのように思われていますが、もともとヨーロッパにおいて科学とは、神の創り給うた自然を探求し、そのことを通じて神の摂理に触れようとする営みであった。科学は自然を探求する営みなわけですけど、ヨーロッパと日本ではそもそも「自然」の捉え方自体が異なっていますし、その根本にある宗教観にも違いがあります。
技術としての科学に接している限りではこうしたことを考えずにいられるわけですけど、文化として科学を見つめ直したときには、つまり、自分たちの自然観や世界観を養っていく営み、あるいは自らの生を豊かに育んでいく営みとして科学をつかみ直そうとしたときには、僕たち日本人としては、どうしても、このキリスト教という土台の上ではうまくやっていけないところがある。頭では理解できても、腑には落ちないといった感がある。どうにかして、日本に生まれ落ちたこの身で芯から納得できるような、新しい科学の方法論を生みだしたい。そういう思いがあります。
そういうことがあって、僕は大学院博士課程を卒業したあと、在野にでて、この松葉舎を立ち上げることになりました。ただ、大学の外に学問の場をつくるというのはやはり大変で、時々挫けそうになることもあるんですけど、そういうときに僕を励ましてくれるのが、明治時代に活躍した物理学者であり、夏目漱石の弟子としても知られる寺田寅彦のこのような言葉です。
西洋の学者の掘り散らした跡へはるばる遅ればせに鉱石の欠けらを捜しに行くもいいが、われわれの足元に埋もれている宝をも忘れてはならないと思う。しかしそれを掘り出すには人から笑われ狂人扱いにされる事を覚悟するだけの勇気が入用である。
いい言葉ですよね。西洋の後を追うだけでなく、日本人は自らの手で科学の種を探し出さなければならない。そのことで、たとえ土にまみれ、人に笑われようとも、狂人扱いされようとも、という言葉です。
これは、寅彦の書いた『線香花火』という随筆のなかに綴られている言葉なんですね[1]。線香花火というのは日本独自の手持ち花火の一つなんですが、せっかくですので、ルーマニアのみなさんにもこの花火の映像をご覧になっていただきたいと思います。
このように、日本が誇る非常に美しい花火なのですが、中央から四方八方に飛び散った火花が、その先でふたたび弾けて、さらに四散していく。それを何度も繰り返していくところに線香花火の特徴があります。
寅彦は先程の随筆の中で、線香花火の織りなす模様、その生成のメカニズムは、科学的に研究するに値するものだと、強く提唱しています。そこには、日本の文化の中に科学の種を見つけだし、それを大切に育てあげ、日本の土地に根ざした科学を育もうとする意図があったように思われます。しかし、当時の物理学者の目は宇宙の彼方や原子の内奥、日常から遠く離れた世界にもっぱら向けられていまして、寅彦の声が学会の主流派に響くことはありませんでした[2]。それどころか、おそらく寅彦自身、人から笑われることも、狂人扱いされることもあったのではないかと想像します。さきほど紹介した言葉は、そんな寅彦その人を奮起させるものだったでしょうし、時代を超えて僕もまた、その言葉に奮起させられているわけですね。
そして寅彦は、この線香花火の発する火花を「松葉火花(Matsuba-Funken)」と呼んでいたのですが、松葉舎(しょうようしゃ)という名前はこれにあやかって命名させてもらいました。今日の学生合同会議におきましては、松葉舎から飛び散った学問の火花がみなさまの心の中で再び弾け、連鎖的に燃え広がっていくことを祈っております。
江本伸悟
[1] 寺田寅彦『備忘録 線香花火』。青空文庫で読むことができます。
[2] 一方で、寅彦の思想は地下水脈のようにして日本に染み渡り、時代を超えた20世紀の後半から21世紀の現在になって、その成果が地表の至るところに湧き出はじめています。例えば線香花火の研究については井上智博『線香花火研究の最前線』(2018)を参照してください。
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