書を読むことと、それについて語らうことを一組とした、松葉舎のゼミコースを新設いたしました。
ゼミコースは、僕からの講義をおこなう日と、その内容をもとに参加者のみんなで語りあう日の2日間を1セットとしています(単発でもご参加いただけます)。講義日には、これまで松葉舎でとりあつかってきた図書を紹介するとともに、塾生とともに考えてきたことについてお話したいと思います。その話を受けて、みなさまの心には様々な思いが浮かぶと思いますが、そのような思いをすぐさま言葉にするのは難しいですし、紹介された図書を読んだうえで考えを深めたい方もいらっしゃると思います。そこで、講義日の1ヶ月後にあらためて座談日をもうけまして、その間にあたためた思考を交換していければと思います。
なにかを思うだけでなく、その思いについて考えることで、はじめて思考は思考となりますが、折角胸に浮かんだ思いも、それを言葉にする時間や誰かと語りあう機会がなければ、かたちを取れずにたち消えてしまいがちです。かたちなく堆積した思いは、かたちなきままに僕たちの生を支えてくれるものではありますが、そうした思いの一部でもを言葉にして語りあえる場を作りたいと思ったことが、今回の2日間を1セットとしたゼミコースの着想となっています。
2ヶ月に1冊程度の本を読みながら、じっくりとものを考え、それを学友とともに語りあいたいみなさまのご参加をお待ちしております。
はじめての風景画を描くおさない僕の前には、無数の樹木が立ちならび、その一本一本にはまた、無数の葉がついていた。絵画のイロハさえ知らなかった僕は、下書きのために鉛筆を手にとり、その一枚一枚の輪郭を律儀に画用紙に写しとっていった。その途方もない作業がどのような終わりを迎えたのかは、もう記憶にない。ただ、鉛筆を手に樹木の前にたった瞬間突如現れた、無尽蔵の輪郭線に圧倒されたことだけを覚えている。
後日、学校に飾られた友人の絵をみると、鉛筆の下書きなどなしに、毛筆の点描によって樹木の緑が描きだされていた。僕があれだけ凝視した輪郭線はそこになく、形なき無数の色の塊として、そこに樹木がたっている。「こんな手抜き、ずるい!」。そう思った次には、「これはこれでリアルだな」と感じていた。毛筆を手にした友人には、鉛筆を手にした僕とは異なる色と形が見えていたのだろう。
僕たちは、筆をつかって世界を描くだけでなく、筆をつうじて世界をみている。物理学では数式をつかって自然現象を表現していくが、数学という筆を手に取ったとき、この目にどんな光景がうつしだされるのか、それを知りたくて、物理学の世界に飛びこんだ。
大学を卒業してから『十六世紀文化革命』(山本義隆)という本を読み、画家の存在——のみならず職人、船乗り、魔術師といった存在——が、近代科学の誕生にふかく影響していると知った。意外に思うとともに、絵画と物理学とを重ねていた身には、すっと腑に落ちる話でもあった。
その後ひらいた松葉舎には、学問の内外をとわず、さまざまの分野から塾生が集まってくれた。共通言語をもたない会話はたどたどしくも、ときおり分野の垣根をこえて、互いの心の響きあう瞬間がある。その響きを今までより一歩遠くまで伝えるために、新たにゼミコースをひらきたいとおもった。この響きの果てに、たとえば陶芸家の河井寛次郎が語ったような、石とともに笑う科学が、芸術が、暮らしが生まれてくることを願っている。
解剖学者の養老孟司さんが、何かを学ぶということは死ぬということですからね、と述べていたけれど、それは本当のことだ。学問のなす力強い問い掛け、非自明な思考に触れて戦慄を覚えたとき、それまでの自分に形を与えていた常識はぐらつき、かつて存在していた自分はそこからいなくなってしまう。それはいっぺん死んで、新しい自分の姿を生きなおすという経験に他ならない(開塾挨拶より)。
松葉舎ゼミ第1回では、思考の枠組みをここちよく揺さぶり、「私」という輪郭を解きほぐしてくれる、いくつかの書籍を紹介する。意識の外に広がる、無意識の領野(下條信輔『<意識>とは何だろう』)。文字以前の心と、文字以後の心(安田登『身体感覚で「論語」を読みなおす』)。人間の意識と、人間でないものの意識(池上高志、石黒浩『人間と機械のあいだ』)。脳から身体、そして環境へと漏れだす心(アンディ・クラーク『現れる存在』)。
「心は漏れ出しやすい組織である。絶えず「自然な」境界を抜け出して、臆面もなく身体や世界と混じりあってしまう」(アンディ・クラーク)
これらの書籍を読む前後で「心」「命」「私」という言葉への手触りがどのように変容するかを味わってほしい。
大学院で物理学者として過ごした5年間は、科学を通してみる世界の豊かさを実感した5年間であるとともに、科学によってこの世界から失われた彩りに想いを馳せた5年間でもあった。以来、科学を素朴に肯定することも、単純に否定することもできないジレンマのなかで、これからの科学を追いもとめている。陶芸家の河井寛次郎の言葉は、そんな僕にとって一つの指針となっている。
「石が歩いてくる 石が笑って来る こういう思想と、科学とはどうつながるのかという質問ですが、なるほど、科学者が世界に与える世界像では、石は笑わない。しかし、そういう世界像をつくっているその行為においては、科学者は石とともに笑っていたりします。生命の流れの真の姿は、ここにあるのです。このことは科学者にとっても、芸術家にとっても同じです」(河井寛次郎)
陶芸家として毎日土をこね、土と交わることを通じて、河井寛次郎は土とともに笑い、石とともに笑い、その奥にある生命に触れていた。その行為をひとは科学と呼ばないかもしれないが、寛次郎はある意味で、現代科学よりもよほど的確に生命の流れを捉えていた。物質としての生命ではなく、生命としての生命。その理解は、ものとわたしの切断ではなく、ものとわたしの交わりにおいてなされていく。
民芸思想、科学哲学、あるいは比較文化論の書籍などを参考としつつ、石とともに笑う科学、芸術、暮らしのあり方を考えていきたい。
世界を再魔術化する科学というのは、いかにも矛盾した言葉である。
『デカルトからベイトソンへ——世界の再魔術化』の著者であるモリス・バーマンいわく、近代とは世界からしだいに魔法が解けていく時代であった。世界が意味にあふれ、山川草木がみな悉く生命を宿し、人々を安らぎのなかに包み込んでいた時代はもはや過去となり、それ自体としては無意味な物質世界の中に諸個人は孤立して、いまでは憂鬱症が時代の精神となっている。世界が「脱魔術化」していく決定的な転換点をもたらしたとしてバーマンが糾弾するのが、ルネ・デカルトの主客二分の哲学ならびにそれに基づくとされる近代科学であり、砂漠のように意味の干上がった世界にふたたび魔法を取りもどそうとバーマンが参照するのがグレゴリー・ベイトソンの思想である。近代科学を糾弾し、それに代わる知を模索するにあたってバーマンが用いた「再魔術化」というタームを、よりによって「科学」という言葉に肯定的に結びつけてしまうのだから、やはりこの度の講座タイトルには矛盾がある。
この矛盾は、当時科学者であった僕が『デカルトからベイトソンへ』を初めて読んだとき覚えた葛藤に根を張っている。世界を再魔術化するという動機には強く惹かれるが、世界を脱魔術化した責任を近代科学に負わせることはどこまで妥当なのだろうか。科学を外側から批判して捨て去るよりも、それを内側から経験して再編成していくことのほうが、よほど世界の再魔術化に資するのではないか。以来、この書に対する共感と反感とに揺れながら、自分にとってのあるべき科学を思索してきたように思う。
西洋の歴史のなかで発展し、私たちがいま現に見知っている近代科学(science as we know it)が世界を脱魔術化させる「一因」であったことには、今では大筋のところ同意している。それと同時に、科学にはそれとは別の道もあり得たのではないかといつも夢想してしまう。明治期の物理学者・寺田寅彦は「生命の物理的説明とは生命を抹殺する事ではなくて、逆に「物質の中に瀰漫する生命」を発見する事でなければならない」(春六題)と語ったが、科学の現場においても「もののいのち」に触れる瞬間が確かに存在しているよう思う。そのような経験をもとにした、あるいはそのような経験をもたらす科学は、はたして可能だろうか。
あり得た/あり得る科学(science as it could be)の構想は自分の関心のど真ん中にあるだけに、想いばかりが膨れあがってそれを語る明確な言葉をいまだ培えていないのだけれど、矛盾した夢を追いかけてしまった一人として、松葉舎ゼミ最終回というひとつの節目に、これを語ることを改めて試みたい。
参考書籍・紹介書籍
ファッション私塾 coconogacco の教室(最寄り駅:浅草橋、東日本橋、馬喰横山)をお借りして開催します。(※写真は引っ越し前の coconogacco 教室となります。現在の教室も同じインテリアデザイナーによる内装となりますので雰囲気のご参考としてください)